|
櫻の木
|
||||||||||||||||
|
それは妖しいまでの美しさを称えた木にうら若い女が、
その華奢な首を荒縄に搦めて死んでいたのでした。 喰い込んだ首に青黒い痣を鮮やかに残して。 |
||||||||||||||||
|
冬の名残の冷たさを引き連れて、時折、春の風が吹き晒すと、
女の羽織っている淡い色合いの薄衣が、ゆらゆらりと漂い、 昊を舞う天女のように優雅に浮かんでいるようでした。 |
||||||||||||||||
|
ほんのりと温もりを感じさせる陽の光を躰一杯受け止めて、
眩しく輝いているそのさまは、天使が翔ているのではないかと、 それは神々しく煌めいていたものです。 |
||||||||||||||||
|
一陣の疾風が満開の花弁を辺り一面に吹ぶかすと、
この世のものとは思われぬ程、 この首を吊った女が、櫻吹雪の中に蜻蛉のように浮遊し、 幻のように映ったのです。 まるで、白日夢を見ているように……………。 |
||||||||||||||||
|
だが、目敏く、この女の腐りかけた肉の塊の臭いを嗅ぎつけた鴉が
冥府の案内人のように、一羽……又、一羽と、宙に輪を描いて、 気味悪い啼き声をあげ集まってきたのです。 格好の餌食を求めるように……魔性の化身となって。 |
||||||||||||||||
|
ほんのりと紅を注して華やかに咲き乱れる櫻の木は、
またたく間に、一群の鴉で、それは恐怖と不安に落しいれる 漆黒の闇と変わり果て、凶兆の園へと墜ちたのです。 |
||||||||||||||||
|
そんな鴉が、深い水晶のような、燃ゆるような恋をしたであろう眸を、
その鋭い啄で突き始め、白い柔肌を啄むのです……酷く、それは酷く。 何を想ってあの世へ逝ったのか、 それとも、妖しげなまでの爛漫な櫻の魔力がそうさせたのか、 一向に知る由もないのですが、無惨にも眼球を喰われ、 骨が剥き出しになる程、荒された姿を見遣ると、 死人とはいえ、不憫の情が沸き上がり、悍しく痛々しい限りです。 |
||||||||||||||||
|
やわらかな春の風が駆け抜けると、舞い上がる長い艶やかな黒髪は、
腐れゆく躰に比べ、何時までもその黒さと美しさを保ちながら、 寂光を浴び、まるで黒真珠のように燦き、黄昏の中、 神秘と永遠を誇示しているようでした。 |
||||||||||||||||
|
時が過ぎゆくことは儚く、空蝉のようです。
|
||||||||||||||||
|
あの雪のように真っ白な躰も、もうすっかり腐爛し、蛆虫が這い回り、
醜悪な呻き声を発し、むくろを住処にのたくっているのです。 その蛆虫の塊りが遍く躰を引き裂き、どろどろとした赤黒い血を啜り、 犇めき、蠢くさまは、唯、無常としか言いようがありませんでした。 |
||||||||||||||||
|
零れ落つるどす黒い血と、非道い悪臭を放つ汚物が
根本へしっかりと喰らい付き、櫻の木は貪欲なまでも恐ろしい勢いで 女の生命を、魂を飲み込むのです……恍惚と。 交媾の歓びを大地の底へ秘めて……………………………………………。 それは見事なまでの妖艶さを誇っていた櫻の木も、何時しか、 女が喰い荒され、骸躯に果てた頃、その美しい花を散らしたのです。 |
||||||||||||||||
|
短編集 「オオカミを喰べた白ずきんちゃん」より
|
||||||||||||||||
|
→TOP
|
→掲示板
|
→風
|
→作品集
|
|||||||||||||